歴史と人物に学ぶ 会社再建王 坪内壽夫翁 ⑳

神戸オリエンタルホテルの再建
(皇太子殿下と焼き芋)
船を造るいっぽうで、奥道後の開発を成功させていた坪内翁のもとへ、川崎重工業の会長から、神戸のオリエンタルホテルを再建して頂きたいと、丁寧な依頼が舞い込んできた。松山から見ても、神戸は先進地域である。しかも松山へ迎える観光客として、阪神地区のお客様は大切で、坪内翁は依頼に応えて腰を上げた。ところが現地では事が差し迫っていた。再建などと悠長な問題ではなかった。オリエンタルホテルにも労働組合があって、ことあるごとに待遇改善の旗を揚げ、ストライキを打っていた。ことあるごとに、というのはホテルに大臣や政治家、皇族などが利用する予定が入るたび、労組は経営者に要求を突きつけてくるのである。それがホテルの労組の闘争法で、その時も皇太子殿下がオリエンタルホテルを利用する予約が舞い込んでいたのだ。『その時の皇太子殿下いうんは、今の天皇陛下様よ。殿下が神戸へ見えたら、昼食をして淡路島を視察された後、県と市の主催で晩餐会じゃ。そういうスケジュールが入ったとたん、また待遇改善の要求を出しよったんじゃ。オリエンタルホテルはそれまでに、さんざんその手をくろうて、要求にハンコつかされてきたもんじゃから、もうこれ以上要求を呑むと、経営がなりたたんところまでいっとったんじゃなあ』皇太子殿下は、坪内翁より20歳年下である。坪内翁はなぜかファイトを燃やした。『わしにもその位の息子がいてもおかしゅうないんじゃ思うたら、神戸を楽しんでもろうて、機嫌よう東京へ帰させたい思うたんよ。それに待遇改善いうても限度があらい。ホテル潰してなにがホテルマンじゃ。潰れたらどこに働きに行くんぞ。東京の帝国ホテルでVIPが泊まるたびに、そないことしょったら、毎日ストしとらなゃなるまいが』坪内翁は徹底抗戦の肝を決めたとのこと。
『その時のオリエンタルホテルの役員は、商工会議所の会頭、知事と市長じゃろ、太陽神戸銀行の石野さんじゃろ、日本生命の弘世さん、神戸製鋼所の会長、川崎重工の会長、皆錚々たる名士じゃ。と言うことは、みんな傷ついたらいかん人ばかりじゃった。その役員に向けて、皇太子が来たらストうつぞ、いうて労組が喧嘩状を叩きつけたようなもんじゃ。皇太子で来たら、ピケ張って、ホテルの中に入れんようにするんじゃと、その手はもう何度もやっとる。先に述べている役員たちは必ずやると、再建を引き受けたワシのところへ言うてきた。』坪内翁は当時のことを思い出して笑う。『そいでも市や市長は怯えとった。皇太子がホテルの前に来て、ピケ張られとったらどうするんじゃ言うてな』坪内翁は真剣な顔をして『今じゃから言うが、本当はワシの息子ぐらいの年の人じゃ思うたら、なんや気が楽になっとったんよ。自分の息子を守るんやったら、どないでもできるわい。これしきのことでやれんで男がつとまるか、言う気になっとったんやなあ。でも周りの人は心配して、何かといい知恵を絞れ言うて来る。ワシは役員たちに全員辞表出せ言うたんじゃ。知恵絞るもなにもない。絞るなら、膿を絞らなあかん。この会社は名士が多すぎる。皆傷つきたくない人ばかりじゃ。辞表出したらワシひとりで喧嘩しちゃる。それなら誰も傷つかんじゃろ、言うてな。そしたら皆辞表だしよったわい。ワシが社長で、あとは誰もなしじゃ。組合にはワシひとりホテルに残るけん、ピケ張るなら張れ言うてやった。役員の辞表も全部見せてやったら、組合もびっくりしょる。それでも、ホテルの壁にビラを貼りまくりおって、いよいよ皇太子殿下が来るのは明日じゃ。組合員は、はりきってピケ張っとる。』坪内翁は、自慢そうにクスクス笑い出した。『世の中は面白いもんじゃ。考えてもいなかった助け船があらわれたんよ。モノ騒ぎな強そうな男たちがゾロゾロあらわれよった。あの山口組の連中じゃ。皇太子殿下にピケ張るんじゃったら、叩き切てやるいうて凄んだんじゃそうじゃ。田岡いう親分は、昔郵船の地下室かどこかで、海員組合の委員長を叩き切って男をあげ、それから神戸の港湾荷役を一人で握ったそうなんじゃ。その親分がじかに組員を動かしたかどうかは知らんけど、ワシがやっている塀のない刑務所にもあの連中の間では評判はよかったらしい。その男たちがあらわれたら、ピケはフニャフニャになってしもうて、いそいで壁に貼ったビラ、剥がして水で洗い綺麗にしよった。朝になれば皇太子が来るんじゃから、皆大急ぎで汗流していた。ワシはホテルの前に出て、社長らしゅう点検してやったわい。』皇太子殿下は予定通りのスケジュールをこなし、午後ホテルに落ち着かれた。『ワシは、殿下に焼き芋をご馳走した。特上のサツマイモじゃ。殿下は旨い旨い言う手、はじめて食べた言うとった。ワシも嬉しかった。殿下も今は天皇陛下じゃがい。マグロの寿司も食べて頂いたな、それも殿下は旨い旨い言うとった。食べるのは少しだったが、後で、付き添いの医者みたいな人に文句言われたぞ。焼き芋やマグロの握り寿司など乱暴なもん差し上げないでくれ、言うてな』。
しかし、皇太子ご夫妻とは静かなつながりを持ち続け、平成4年皇居で開催された園遊会にご招待され皇居で天皇陛下にお会いした折、坪内翁の前を少し通り過ぎ、お気づきになられ数歩戻られ『坪内さんお元気で長生きをされて下さい。あの時の焼き芋は美味しかったですよ』と小声でおっしゃったそうです。同席していた当時の秘書松本正雄氏は、何のお話かわからなかったそうですが、後日私との会食中に坪内翁は笑いながら懐かしい思い出のひとこまとして話して下さいました。

歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉
次号もお楽しみに!

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