歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉓」  著:野見山 登

総理中曽根康弘氏と国鉄再建

中曽根康弘氏が内閣総理大臣を勤めていた時、赤字を膨らます一方の国鉄の再建は、最大の懸案事項であった。中曽根総理は、土光敏夫臨時行政調査会会長に国鉄再建案の立案を指示すると共に、国鉄再建の重要性を国民にも訴えました。
国鉄の再建については、以前より坪内翁が分割民営化するしか救う道はないと提唱していたので、土光敏夫氏はこの意欲的な発想に確信を持ち、坪内翁に協力を求め相談されたそうです。
坪内翁は、中曽根総理に分割民営化を進言すると共に、推進のため黒子に徹し、社会党の冨塚三夫衆議院議員・金属労連議長宮田義二氏をはじめ野党への根回しにも協力しました。
さらに坪内翁自ら資金的なバックアップをして国鉄幹部職員の研修を引き受け、民間会社としての厳しさを教え込みました。研修で国鉄幹部を『塀のない刑務所』の受刑者と対話もさせました。受刑者は自主性を重んじられ、奥道後ゴルフ場やホテル奥道後の山頂を度々散歩させ、自由な世界を改めて感じさせ心を和ませ、更生を固く誓っていました。こうして、当時の国鉄幹部は受刑者に働く喜びを教えられ、再建の意欲を新たにしたのです。国鉄の予算では質素な食事しかできなかったため、坪内翁は自ら費用を負担して豪華な食事を研修で提供、こうした坪内翁の熱意は国鉄幹部にも伝わり、民間企業の社員として生まれ変わったとのことでした。ホテル奥道後での宿泊・食事代は、すべて坪内翁がポケットマネーで開催の都度、支払っていたとのこと。(当時のホテル支配人處幸治氏の話)中曽根総理は、国鉄問題を国民に訴え注目を集め、分割民営化は最後まで組合などの強い抵抗に遭いましたが、国鉄は昭和62年、民営会社『JR』として生まれ変わりました。坪内翁は国鉄総裁への就任を要請されましたが、総裁やJRの役員にも就任せず国鉄再建に尽力され、地位や名誉を求めない坪内翁の姿勢を中曽根総理も高く評価されました。

富塚三夫氏と政策を超え交流

坪内翁は、国鉄分割民営化を提唱し、その推進のために中曽根総理に外部から協力しましたが、強い抵抗が予想された野党との話し合いが大切と考え、ジャーナリストの内藤國夫氏を通じて、当時総評事務局長を務めた富塚三夫衆議院議員と会いました。
坪内翁は、長時間にわたる会談で、分割民営化しか国鉄を救う道はないことを説き、国鉄総裁やJRの役員にも就任しないことも明言。地位も名誉も求めず、純粋に日本の国を思っていることを知って、富塚氏も国鉄再建問題には野党側から協力して頂いたそうです。しかし、心ない人達が富塚氏を非難しました。これに坪内翁は心を痛めておられました。私は、20年位前に主催するNSP経営塾生数名と坪内翁をお尋ねした際、坪内翁より『丁度いい時に来てくれた、先ほど衆議院議員の富塚氏より鯛の大きいのが届いたので、今日は鯛の船盛で歓迎しますワ』と言われ、国鉄分割民営化提唱のお話と富塚三夫議員のお話を賜りました。

国鉄分割民営化の裏話

①国鉄幹部社員の研修を開催した研修会場がホテル奥道後の山頂公園の一角にあった。海抜6百メートルの山頂に軽量鉄骨平屋建、北側は大きなガラス張り建物で、松山市内や遠くには瀬戸内海が一望できる素晴らしい研修棟であった。

②研修中は研修棟(山頂)からホテルでの食事(バイキング)やジャングル温泉入浴にもロープウェーで行く豪華な研修会であったそうです。

③2泊3日~3泊4日の研修会終了の帰路、坪内翁は参加者全員に自らお土産とお小遣いとして金一封を渡されていたとのこと。

④翁の秘書松本氏の話によれば、この研修会に個人のお金を8億円位使ったとのこと。

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