福岡新倉庫稼働
お気軽にお立ちよりください!
乗務員の間でも倉庫の案件の問い合わせがあるようで、皆で、焦らず急いで倉庫が埋まっていくように、情報交換を密に行っています。
この倉庫は、福岡市中心部にも非常に近いので、店舗等に入らない在庫の一時保管としても活用できそうです。乗務員も紹介で続々と集まってきており、今、大安の中で新進気鋭の若者が集っている一番勢いのある部門となっています。
軽貨物免許取得
乗務員確保のための採用間口を広げようと、保有していた軽バンを利用して、軽貨物運送事業の届出を行い軽貨物の営業ナンバーの印である、黒ナンバーを取得いたしました!
現在は、パートで勤務して下さっている、ママさんが、大型免許を持っているので、まずは、軽貨物の仕事として、毎週水・木の定期便を稼働していただいております。その他の曜日は空いておりますので、緊急便等ございましたら、お気軽にお問い合わせください。
将来的には女性の輸送部隊トラガール部隊を作りたいなと考えております!
須々田家に姫が祝誕生
福岡営業所所属の須々田くん(31歳)がこの度、パパになりました!姫の名前は莉子(りこ)ちゃんです。須々田家をはじめ、子育て家族が、安心して子育てできるような職場環境を皆で整えていきましょう!
歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉛」 著:野見山 登
経営雑感
坪内壽夫翁の経営発想法
数々の事業を手がけた坪内壽夫翁は、経営の精神的支柱に『忍耐』を上げています。心ない政治家の嫌がらせや、いわれなき非難にも耐え抜きながら大事業を成し遂げてきました。特に、手腕を発揮した会社再建では、他の経営者には真似出来ない方法を取ったことから、多くの嫉みを受けました。それは多額の私財を投じて、早期に優良企業へと生まれ変わらせることでした。
その生き方に興味を持った作詞家・星野哲郎先生は、坪内翁をモデルにした歌『男の劇場』で翁の心を余すことなく表現しています。星野氏から贈られた『男の劇場』の添文は坪内翁の根底に流れる『忍』の一字と、義農作兵衛の義農精神をあらわしていると言える。
作詞家・星野哲郎先生と坪内翁の友情〈続編〉坪内翁がモデルとなってつくられた歌 作詞家・星野哲郎先生は、歌手鳥羽一郎さんが唄う『翁』。その後『来島海峡』と坪内翁をモデルにした作品を発表されましたが、坪内翁より『作詞家の星野哲郎先生がワシをモデルにした歌をつくるので松山にくる言うとるんで、立ち会ってもらいたいんじゃが』と、連絡があり、ホテル奥道後の離れ“坪中川亭”の夕食の席で、はじめて星野哲郎先生との出会いを賜りました。この時の対談内容は、『歴史と人物に学ぶに記載しました“尾道市~今治市を結ぶ民営架橋計画”(現/しまなみ街道・来島大橋)に関する当時から30数年前の思いでの、対談が中心でした。私は、星野先生が和やかに夕食をしながら坪内翁の話しに割り箸の外側の紙を開いてメモされている姿に驚きましたが、星野先生のお話によると、翌年開通予定の《しまなみ海道》を機会に坪内翁をモデルにした歌を日本クラウンより発表する。作曲は岡千秋先生で歌は海の男鳥羽一郎、歌のタイトルも『来島海峡』と決めているとのことでした。どんな歌が発表されるのか楽しみにしていましたが、秋に詩が出来上がり岡千秋先生が曲をつけ、自らあのガラガラ声で歌っている視聴用のテープをいつものホテル奥道後の離れ“坪中川亭”で坪内翁と星野先生、岡千秋先生、日本クラウンの田中常務取締役同席で、鳥羽一郎さんのレコーディング前の歌をはじめて聞かせて頂きました。又、B面には翁が永年にわたり支援されてきた“塀のない刑務所”更生保護事業をモデルにした歌『愛をみんなで』も同時につくられ、同じくデモテープを聞かせて頂きました。さらに『愛をみんなで』の歌の印税は、日本クラウンの配慮で“更生保護事業推進”の為、全国の更生保護会の運営資金として 寄付されるとのこと。(現在も毎年寄贈されている)
私は、数ヵ月後に発売された鳥羽一郎さんが唄っている『来島海峡』『愛をみんなで』の歌を聞かせて頂き、波瀾万丈の人生を過ごされた坪内翁の生き様を的確に捉えた歌に大変感動いたしました。(今は、私の大好きな歌となり機会あるごとにカラオケで歌っています)又、坪内翁による日本クラウンへの働きかけで、四国最先端佐田岬を全国にPRする歌もつくられ、鳥羽一郎さんが唄う『海峡の春』や『佐田三崎』など、相次いでヒット曲を生み出している。この二曲は、当時の愛媛県の加戸知事も各地の宴席に出席する度に歌われていました。(当時の愛媛県知事の加戸知事は元・作詞家協会の会長であった)坪内翁は、佐田岬の三崎漁協とホテル奥道後の魚介類の仕入れ先として親しくしお付き合いがあったが。三崎漁協に付加価値の高い“伊勢えびの増殖”を提案と、同時に大分県佐賀関の関サバ、
関アジに対抗し同じ海峡で漁をしている三崎漁協のサバ・アジに
ブランド名「岬サバ」、「岬アジ」の名で『海峡の春』や『佐田三崎』等と共に、全国販売の応援をされ、当時毎日松山空港より関西・関東の鮮魚市場やホテルに空輸されていました。尚、坪内翁をモデルにしてつくられた歌は、過去に“ああ南海の男星(村田英男)・夫婦暦(山田太郎)”などがある。
歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!
安岡正篤先生の言葉
二宮尊徳先生のことば
「心田開発」
己に克つは、我が心の田畑に生ずる草をけずり捨て、とり捨て、我が心の米麦を、繁茂さする勤めなり。是を人道という。
論語に「己に克って禮に復る」とあるは此の勤めなり。(「二宮翁夜話」)
尊徳先生が一代かけて尽力下さったのは、「荒地開墾」と「心田開発」であったともいえますが、荒地開墾を通じて、目指したのは「心た開発でありまして、わが心の雑草を刈り取ることを主目的とさられたのであります。
社長の心根
先日、ディクリエイト上西先生のお誘いで、広島市にある第一タクシー株式会社様へベンチマークツアーに参加してきました。上西先生曰く、日本一の
タクシー会社とお聞きして、参加し、その評価に間違いないなと感心しました。
会長のお話や、乗務員が出席する定例会議へのオブザーバー出席、点呼の実施方法や、本部長のお話などをお聞きし、メモが5ページにもなりました。
そんな中でも、すぐに自社で取り入れることができそうな、事故撲滅への取り組み事項もあり、とても有意義なツアーとなりました。こういったツアーは幹部社員と一緒に参加すると更に効果がありそうなので、次回参加時は、幹部社員総出で参加したいと思います!
感謝
取締役社長 平川隼大