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福岡営業所に2t箱車が2台祝納車
まだまだ増車可能ですが、あとは、乗務員の方々が集まるかどうかとなります。
そんな乗務員の方々ですが、現在の、福岡営業所に所属されている方々は95%が人々とのご縁を大切にして、紹介により 入社していただいております。
現在の事業拡大スピードに縁故採用が追いつかなくなってきているので、今後は採用の広告媒体も活用しながら人財の確保に努めていきたいと考えております。
先日、求人媒体の営業の方に来ていただいて、掲載内容を精査したり、求人状況の情報を得ていましたが、福岡と北九州の求人数の違いに、まず驚きました。
さすが、福岡、商圏の規模がでかいです。
そんな中で生き残りをかけていくために、職場環境を良くしていきたいと思います。
今年もTGCin北九州のノベルティ作成しました
昨年に引き続き、今年も東京ガールズコレクション北九州の会場で配布されるノベルティのセットアップを受注し、作業を行いました。
昨年の作業経験をもとにし、現場では様々な改善が行われており、1件当たりの作業単価は昨年よりも安く抑えることができております。また、当初の見積金額よりも使用備品が減ったり、トラックの稼働台数も減る見込みなので、請求額も安く
今後も、継続的に東京ガールズコレクション北九州のイベントが続いていくように、陰ながらサポートしてまいります。
今回受注したような、大口イベント用の流通加工もできますので、お気軽にお問い合わせください。
新卒社員入江君の運転を堪能
先日、配送体験を福岡営業所で終えた入江君に本社までの運転をお願いし、無事に帰りつきました。
横に乗って運転してもらいながら、最近の仕事の話や、プライベートな話などして、二人の時間を楽しみました。
帰り着いたあとは、運転の内容で気づいた点や改善した方がいい点を伝えて、今後の安全運転につなげるよう、指導いたしました。
本社主催飲み会での一コマ
先日、黒崎の風来坊さんで、本社営業所の竹中くん幹事のもと、飲み会を開催しました。会長ご夫婦これからもお身体ご自愛ください!
伊藤家の「れん君」
伊藤家の「れん君」は、
ゴロンが大好きだそうです!
歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉝」 著:野見山 登
坪内翁に長生きをして頂く会
全国大会を開催
私は、平成5年より2ヶ月に1回『坪内翁に長生きをして頂く会』と云う名称で全国の経営者を毎回少数のみ同伴、坪内翁のお話を会食代実費のみでお聴きする会を開催していた。平成9年、坪内翁は83歳の秋頃より度々肺炎を患うことが多くなり、面会謝絶の日々が度々あり、私は翁が85歳になられた時に、『坪内翁85歳の誕生日』を計画していので、後に記載しますが、親しくお付き合いを賜っていた翁の主治医南松山病院尾崎光泰理事長先生に坪内翁の状況を詳細にお聴きしましたところ『過去に肺癌で右肺を全適していることと、年齢的にも厳しくいつどんな状況になるか油断はできない』と言うことであった。その為、翌年平成10年9月4日“坪内翁85歳の誕生会”を一年早め84歳で開催しました。6月に鳥羽一郎さんが唄う『来島海峡』と『愛をみんなで』が日本クラウンより発売され、私は坪内翁の誕生会の開催計画案と歌の発売の祝いを兼ねお見舞いに翁をお尋ねしたが、今治市が今治市民会館で『しまなみ海道開通記念、鳥羽一郎ショー』を概算予算1000万円かけて計画。今治市長と一部の県議と市議を含め実行委員会を結成し有志が坪内翁を訪ねて来られており、今治市に予算がなく坪内翁に500万円寄付して頂きたいと言う、虫のいい話があり坪内翁は困惑していた。
翁は、いつもの調子で『野見山先生どうするぞ!!』と私に投げてこられた。私もいつものように『お断りしたら』と言い。そして即『発売記念コンサートは、ホテル奥道後で、坪内翁の誕生会に合わせ、私が日本クラウンと鳥羽一郎さんに交渉し無償で来て頂き開催しますので御安心下さい』と申し上げ、さらに『元々来島ドックは、今治市の隣の大西町にあり、30数年前“尾道市~今治市を結ぶ民営架橋計画”を当時の白石愛媛県知事と各市長会で反対され頓挫した経験があり、長い歳月と国の膨大な建設費用をかけてやっと開通した途端、開通記念発表会を開催するので坪内翁に費用を出してもらいたいとは、少々おかしくないですか?』と、言わせて頂いた。そして、今治市長他同席者の目の前で、鳥羽一郎さんに電話を入れ『坪内翁の誕生会を兼ねホテル奥道後で発売記念発表会を実施するので協力をして頂きたく、私が近日中に東京に相談に行くのでよろしく』と、連絡を入れた。
今治市長他同席者は残念ですと言い渋々お帰りになられた。後日今治市の友人により入った情報によると、実行委員会まで立ち上げ坪内翁への寄付の依頼に対し、私の『お断りをしたら』の一言でダメになったと、私に対して相当な恨みをかっていたとのことだ。坪内翁はニコニコ笑顔で『いずれやらなきゃいかんごとじゃが、野見山先生にお任せします。お金が必要じゃったら何ぼでも言ってくれ』とも言われた。勿論、翁に負担はかけずに開催した。私は、7月初旬東京の日本クラウン本社に行き、当時の斉藤登会長、田中常務と面談し今治市長他同席者の『虫のいい話を』報告させて頂き協力要請をした。会長も常務も快諾して下さり『鳥羽一郎は勿論、星野哲郎先生、岡千秋先生共々行きます』との返事をいただいた。夕刻、鳥羽一郎さんとも面談、夕食をご馳走になりながら「鳥羽一郎さんの長女比紗花ちゃんの名づけ親の誕生会を兼ね、家族全員で奥道後の温泉にご招待する』と言う大義名分の下、出演料なしで快諾して頂くことになりました。
私はその後、イエローハットの創業者鍵山秀三郎様、はがき道の坂田道信先生、伊勢修養団の中山靖雄先生をはじめ『一隅を照らし』全国で活動をされ集客に影響力のある諸先生方に呼びかけをさせて頂き、平成10年9月4日、坪内翁の84歳の誕生日にあわせ千百数十名の参加者を集い開催した。参加者の皆様からの浄財(会費1万円ディナー代を含む)でホテル奥道後の遊園地に、高さ5m幅6mの大島御影石で“縁は人生の宝”の石碑(私の直筆)と、星野哲郎先生・岡千秋先生・鳥羽一郎さんをはじめ“一隅を照らし”全国で活動しておられる諸先生方の直筆氏名を書かれた石碑を建立し、神事の後に除幕式を開催した。
石碑建立の挨拶文
翁ますますお元気で、望まれるのはこの国の民の幸せばかり。享保の大飢饉で我が身を捨て民を救った、故郷伊予郡松前町の偉人、義農作兵衛の精神を今なお実践し続けている。会社再建王としてその名を馳せる翁だが、愛を失い、道にはぐれた人々を救い励まし続ける慈愛の姿はあまり世に知られていない。一隅を照らす先生方が、不思議な糸にひかれ翁の生き様に共感、絶賛された。まさに『縁は人生の宝』である。翁の愛するこの奥道後の地で『坪内壽夫翁に長生きをして頂く会』が開催された。主催者を代表して心よりお礼申し上げます。
* 石碑に私の名前や実行委員会の皆さんから何度も入れろと言われましたが、石碑の価値が下がるので入れていません。
その後の坪内翁の講演会は、ドクターストップの中、こっそり病院を抜け出して出演して下さり、短時間であったが『塀のない刑務所、更生保護事業やはじめ佐世保重工業の再建』等、坪内翁の足跡の実話を自らお話して下さいました。講演会終了間際に、無断外出が南松山病院の尾崎院長先生に知れ、院長先生自ら病院の救急車に同乗し駆けつけられ楽屋裏で私は大目玉をくらったが無事に終了した。
歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!
安岡正篤先生の言葉
二宮尊徳先生のことば
「天道と人道」
それ庭前の落葉は天道なり。無心にして日々夜々に積もる。これを払わざるは人道にあらず。払えどもまた落つる。これに心を煩わし、これに心を労し、一葉落つれば、箒を取って立つが如き、是れ塵芥の為にえきせらるるなり。愚というべし。 (「二宮翁夜話」)
さけることの出来ない落葉をもって、天道すなわち天地の法則を説かれたことは、尊徳先生の透徹した活眼によるものです。そしてその落ち葉を掃き集める、これが人道の務めであります。と言って、いちいち取り掃う事にあくせくせず、朝晩に除去するのが人として当然の義務です。
社長の心根
先日、長男の初めての幼稚園での運動会に行ってきました。
私も、初めてで勝手がわかりませんでしたが、よそのお父さんたちを見てみると、なかなかの本気ぶりにとても驚きました。
ビデオカメラや大きなカメラを三脚や脚立を使っての必死な撮影は、カワイイ我が子の成長を残しておきたいという思いからでしょう。そんな私も妻からビデオカメラを捥ぎ取り、必死に撮影に勤しみました。
昔は、幼稚園や小学校の行事に乗務員の父親がなかなか参加できないような社内風土がありましたが、最近では、だいぶ改善されてきており、休みの申請を出してもらい、出来る限り休みが取れるよう、現場で話し合いながら、調整をしているようです。
これからも、社員とその家族から愛されるような会社になるよう、職場環境を良くしていきます!
感謝
取締役社長 平川隼大