歴史と人物に学ぶNSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㊷」著:野見山 登

坪内翁が佐世保重工の社長に就任したときの談話より

一番の条件は15%の賃金カット(以下坪内翁の談話)・・・続き

じゃからワシは15%の賃金カットを条件にしたんじゃ。親方日の丸のまんま再建はできんぞ。三菱重工など、経営がようなければ、会社は組合と真剣に話し合うとるんにな。三菱がこれこれの金をだしたから、うちはそれに上乗せする言うて手を打つことしかせんで来たツケが、経営破綻の原因じゃ。ワシとこ来島どっくは小さいが、今回は助ける方じゃ、SSKは大手じゃが、助ける方より賃金が高いのでは、助ける小さい方が納得せん。
これは理屈に合うとるじゃろうが、ところがはじめのうち、佐世保の人たちには、どこか納得できんところがあったらしいな。海軍工廠は国家そのものじゃいう、親方日の丸根性やな。そんなもん捨ててもらわんと、再建もなにもあったもんやない。ワシはあの頃思うたわい。これは医者みたいなもんじゃなと。これは切開して取ってしまわんと、病気は、ようならんのじゃ。教育が必要じゃった。意識改革をさせにゃあいかん。

二番目の条件は、人員整理(以下坪内翁の談話)

何というてもSSKは人が多かった。人が多すぎるのに、週休二日制しとる。会社が潰れたら2日どころか毎日休みじゃ。
経営がうまくいっとるならそれでもええが、潰れるかどうかの瀬戸際なんじゃ。当分週休二日制は中止や。

三番目の条件は、
3年間ボーナスゼロ
(以下坪内翁の談話)

SSKがかかえた負債は、計算すると870億円もあった。そんだけ負債のある会社が、ボーナス出したら、貸しとる方は誰かて怒るじゃろうが。会社が潰れるんは、経営者の責任だけやのうて、従業員一人ひとりにもある。会社は企業体かもしれんが、従業員の職場でもあるんじゃ。職場にぶら下がる意識は捨ててもらわにゃならん。ワシ一人で再建できるものやない。
この条件を呑めるんやったら再建を引き受ける。呑めんのやったら断る。これが最後の交渉じゃった。組合の委員長と書記長を相手にした交渉のな・・・。
坪内翁は、その話になると、毅然とした態度と表情に戻るのだ。
呑むか、呑まんのか、呑むなら一筆書け、ワシはそう要求した。そしたら、委員長も書記長も呑む言う。2人とも真剣な表情だった。ワシに向かって涙流すんじゃ。自分たちは命がけで、このことを社員に説得する。責任もって説得するけん、そのことを文章にすることで、我慢して欲しい、いうんじゃ。ワシもそのときの2人の真剣さに打たれて、そういう趣旨の文章を書かせて済ませたんじゃが、これがいかんかった。
委員長と書記長の2人との交渉は東京じゃった。缶詰にさせられて、よってたかって説得されとった最中の交渉じゃったからな。2人が最後の詰めで東京へ呼ばれて、ワシと会ったんじゃ。その2人に『必ず従業員を説得します』という文章を交わして、ワシは急いで松山へ飛んで帰った。相手が難しいこと、納得してくれたんじゃ。ワシもすることはせなならん。松山へ帰り退職金の83億円を持って、今度は佐世保へ行ったんじゃ。
過去のこととはいえ、坪内翁はこともなげに言う。まるで社長就任の手土産に83億円包んでぶら下げて行ったような言い方だ。しかし、この間の事情も並々ではない。SSKの問題に関係した大手銀行は、日本鋼管や新日鐵・日商岩井など、SSKの大株が債務保証をすれば融資するが、坪内の保証では金は貸さないという姿勢だった。
最初に出た金は30億円、40億円どまりじゃったな。
SSKが振り出した手形が不渡りになりそうじゃった。それで、ワシはSSKの主力銀行の第一勧業銀行へ行ってその分を借り出そうとしたんじゃ。退職金とは関係のない金でな。
日本鋼管が送り込んだ社長が振り出した手形が、決済できんようになっとったんじゃ。   ワシは前の社長がしたこと位は、日本鋼管が面倒を見ると思うとったんじゃが、そのときに応対に出た2人の銀行マン、検事か判事みたいな凄い人じゃったぞ。部長と常務でな、聞くに堪えんこというのはあれじゃな。ワシを犯人扱いじゃ。あまりなこと言われてワシはズボンの横、両手で握って耐えとったんや。くそ!見とれ!誰がお前らの世話になどになるかい、思うて我慢しとった。坪内翁はその時のことを多く語らなかったが、よほど悔しい思いをしたのだろう。
推測だが、これくらいの金が出来ないくせにSSKの再建を引き受けるとは不埒千万と言うような、高慢な言い方だったかもしれない。

歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!
安岡正篤先生の言葉

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