歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ⑲」  著:野見山 登

 関西汽船の再建
昭和35年、関西汽船の経営不振で揺れる別府に救いの手を差し伸べた坪内翁。当時、関西汽船と坪内翁が経営するダンヤモンドフェリーは、関西汽船が乗客、ダイヤモンドフェリーが車両を運ぶ協定を結んでいた。協定によって関西汽船はフェリー化に乗り遅れると共に、チップ制が乗客から悪評を買い経営が悪化していた。当時のチップ制とは、乗客は乗船料を支払った上に、乗船後の船内で、乗組員にチップを渡し、部屋割りをしてもらっていた。共同で経営に携わっていた住友銀行、日本開発銀行、伊藤忠商事、大阪商船三井船舶の四社は、悪化の一途をたどる関西汽船を見放したのである。松下幸之助翁と磯田一郎住友銀行頭取は、坪内翁に三顧の礼を尽くし、さらに坪内翁との関わりの深い色部義明協和銀行会長、勝田龍夫日本再建銀行会長、松平忠晃埼玉銀行会長、末光千代太郎伊予銀行会長らを使って関西汽船の再建を坪内翁にと説得運動を起こし、坪内翁は、遂に受諾を余儀なくされたのである。坪内翁は関西汽船を再建する際、男女同権の気運に乗って、女性の船員の実現に努力された。当時、海上保安庁などの定款では、女性船員、外国船員の混乗を認めていなかった。
外国船主も日本人船員の賃金高騰から経営に苦しみ、日本郵船の有吉義弥会長と菊池庄次郎社長は経営の安定化の為、外国船員を採用できるように各方面に働きかけていた。しかし、海員組合の厚い壁に拒まれ実現できずにいた。坪内翁が女性船員の実現に奔走していることを知り、両氏は『他に勇気ある人はいない、海員組合の壁を破って欲しい』と懇願し、陰での協力をした。坪内翁は、海員組合を説得すると共に、海上保安庁、商船学校の定款変更を国に働きかけ3年かけて女性船員の乗船を実現されたのです。時を同じくして、関西汽船の再建を手がけていた坪内翁。早速、関西汽船に女性船員を採用し、不評であったチップ制を廃止して女性船員によるサービス向上に努め、再建を果たしたのです。同様に外国船員の混乗も実現され、外国船主の危機も救われました。

歴史と人物に学ぶほど
   生きた学問はない!
  
   安岡正篤先生の言葉
      次号もお楽しみに!

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