司馬遼太郎氏『坂之上の雲』と坪内翁の逸話
作家の司馬遼太郎氏は、松山商工会議所主催の文化講演会でホテル奥道後に招かれ、坪内翁と親交が始まりましたが、坪内翁の生き方に興味を持つと同時に耳寄りな話を聞かされました。その話は、俳人正岡子規と日露戦争の海軍参謀・秋山真之、元大蔵大臣・勝田主計氏が松山出身の幼馴染であることであった。秋山真之は日本海海戦『天気晴朗なれど浪高し』と言う名文を送りロシアのバルチック艦隊を破った作戦の立役者でした。又、真之の兄・秋山好古は陸軍大将で陸軍騎兵隊の生みの親としてコサック騎兵隊を撃破し日本を勝利へと導きました。
坪内翁は、司馬氏をホテル奥道後の山頂に建立した勝田主計氏の銅像に案内し、勝田主計氏のお話をされたそうです。司馬氏は大変興味を示し、積極的に取材をはじめ、納得のいくまで調べないと気がすまなかったようで、司馬氏は度々松山を訪れ、そして、長編小説『坂之上の雲』を完成させたそうです。司馬氏は取材中に、松山市歩行町で秋山真之がよく遊んだといわれる旧家をみつけ、その庭に真之がよく登っていたという木が残っていたことから、司馬氏はこの木を譲り受け、坪内翁に感謝の記念として贈られた。記念の木は奥道後ゴルフ場に移植されている。『坂之上の雲』は、司馬氏の代表作であると共に松山市を全国に紹介した代表的な小説ともなりました。秋山兄弟の銅像が松山市の郊外の丘の上にありますが、辺鄙な山の上にあり、司馬氏は『地元が粗末に扱っていると嘆いていた』そうです。平成18年、元松山市長・中村時雄氏が松山市の活性化につなげようと『坂之上の雲』の映画化、テレビ化を司馬氏に再三願い求めても“地元が粗末に扱っている”と、首を盾に振らずに実現されなかったそうです。
国鉄分割民営化の提唱
竹村健一氏の大予言
評論家の竹村健一氏は坪内壽夫氏との共著『単純が奇跡を生んだ』の中で『坪内さんは行政改革に興味はないというが、坪内さんなら国鉄の再建もできると思う』と述べています。
この著書が出版されて2年後、国鉄は分割民営化へ向けて動きだし、竹村氏が予言した通り、坪内翁は国鉄の再建に大きな役割を果たすことになった。
又、竹村氏は著書『坪内壽夫 奇跡の経営力』の中で『ビジネスマンにとって本当に読んでみて役にたつのは、大企業に入社して何十年もしてからトップになった人達の伝記ではなくて、このように自分ひとりで道を築いてきた坪内氏のような生き方ではないだろうか』と述べています。サラリーマン社長には耳の痛い話ですが、坪内翁の生きた経営哲学は、数多くの経営者に影響を与えているような気が致します。