歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉛」 著:野見山 登

経営雑感
坪内壽夫翁の経営発想法

数々の事業を手がけた坪内壽夫翁は、経営の精神的支柱に『忍耐』を上げています。心ない政治家の嫌がらせや、いわれなき非難にも耐え抜きながら大事業を成し遂げてきました。特に、手腕を発揮した会社再建では、他の経営者には真似出来ない方法を取ったことから、多くの嫉みを受けました。それは多額の私財を投じて、早期に優良企業へと生まれ変わらせることでした。
その生き方に興味を持った作詞家・星野哲郎先生は、坪内翁をモデルにした歌『男の劇場』で翁の心を余すことなく表現しています。星野氏から贈られた『男の劇場』の添文は坪内翁の根底に流れる『忍』の一字と、義農作兵衛の義農精神をあらわしていると言える。
作詞家・星野哲郎先生と坪内翁の友情〈続編〉坪内翁がモデルとなってつくられた歌 作詞家・星野哲郎先生は、歌手鳥羽一郎さんが唄う『翁』。その後『来島海峡』と坪内翁をモデルにした作品を発表されましたが、坪内翁より『作詞家の星野哲郎先生がワシをモデルにした歌をつくるので松山にくる言うとるんで、立ち会ってもらいたいんじゃが』と、連絡があり、ホテル奥道後の離れ“坪中川亭”の夕食の席で、はじめて星野哲郎先生との出会いを賜りました。この時の対談内容は、『歴史と人物に学ぶに記載しました“尾道市~今治市を結ぶ民営架橋計画”(現/しまなみ街道・来島大橋)に関する当時から30数年前の思いでの、対談が中心でした。私は、星野先生が和やかに夕食をしながら坪内翁の話しに割り箸の外側の紙を開いてメモされている姿に驚きましたが、星野先生のお話によると、翌年開通予定の《しまなみ海道》を機会に坪内翁をモデルにした歌を日本クラウンより発表する。作曲は岡千秋先生で歌は海の男鳥羽一郎、歌のタイトルも『来島海峡』と決めているとのことでした。どんな歌が発表されるのか楽しみにしていましたが、秋に詩が出来上がり岡千秋先生が曲をつけ、自らあのガラガラ声で歌っている視聴用のテープをいつものホテル奥道後の離れ“坪中川亭”で坪内翁と星野先生、岡千秋先生、日本クラウンの田中常務取締役同席で、鳥羽一郎さんのレコーディング前の歌をはじめて聞かせて頂きました。又、B面には翁が永年にわたり支援されてきた“塀のない刑務所”更生保護事業をモデルにした歌『愛をみんなで』も同時につくられ、同じくデモテープを聞かせて頂きました。さらに『愛をみんなで』の歌の印税は、日本クラウンの配慮で“更生保護事業推進”の為、全国の更生保護会の運営資金として 寄付されるとのこと。(現在も毎年寄贈されている)
私は、数ヵ月後に発売された鳥羽一郎さんが唄っている『来島海峡』『愛をみんなで』の歌を聞かせて頂き、波瀾万丈の人生を過ごされた坪内翁の生き様を的確に捉えた歌に大変感動いたしました。(今は、私の大好きな歌となり機会あるごとにカラオケで歌っています)又、坪内翁による日本クラウンへの働きかけで、四国最先端佐田岬を全国にPRする歌もつくられ、鳥羽一郎さんが唄う『海峡の春』や『佐田三崎』など、相次いでヒット曲を生み出している。この二曲は、当時の愛媛県の加戸知事も各地の宴席に出席する度に歌われていました。(当時の愛媛県知事の加戸知事は元・作詞家協会の会長であった)坪内翁は、佐田岬の三崎漁協とホテル奥道後の魚介類の仕入れ先として親しくしお付き合いがあったが。三崎漁協に付加価値の高い“伊勢えびの増殖”を提案と、同時に大分県佐賀関の関サバ、
関アジに対抗し同じ海峡で漁をしている三崎漁協のサバ・アジに
ブランド名「岬サバ」、「岬アジ」の名で『海峡の春』や『佐田三崎』等と共に、全国販売の応援をされ、当時毎日松山空港より関西・関東の鮮魚市場やホテルに空輸されていました。尚、坪内翁をモデルにしてつくられた歌は、過去に“ああ南海の男星(村田英男)・夫婦暦(山田太郎)”などがある。

歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉

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