歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉜」 著:野見山 登

坪内翁が日本クラウンに

    提案してつくられた歌

南国土佐を後にして(ペギー葉山)・

伊予の女(北島三郎)・

でっかい夢(フランク永井)・

道後の女(フランク永井)・

義農作兵衛(水前寺清子)・

愛をみんなで(鳥羽一郎)・

足摺岬(鳥羽一郎)・

海峡の春(鳥羽一郎)・

佐田岬(鳥羽一郎)・など等、

数多くある。坪内翁の発想は、 全国版の歌で地域の町興しを図る戦略であった。大ヒットの曲の例は、高知県を全国版でPRし大成功したペギー葉山さんの歌『南国土佐を後にして』である。(この歌は映画にもなりました)浅学非才な私も坪内翁の意思を継ぎ、 親しく付き合いのある鳥羽一郎さんに北九州市の隣町、京都郡苅田町の苅田漁業協同組合の金丸幸道組合長より『漁師は勉強をしていないので少しでも学ばせたい』と“漁師塾”を開催して頂き、お世話になっていた関係もあり、苅田町の町興しとしての歌を依頼、 平成12年秋『港の美夜古衆』と 『帰郷』二曲を全国版で日本クラウンより発売のお手伝いをさせて頂きました。A面『港の美夜古衆』は、現在の福岡県京都郡は過去に、都古郡であったこと、豊前海の一粒牡蠣のPRを兼ねたストーリーの歌で、B面『帰郷』は、漁師の子供達が漁師を引き継がずに憧れて離れて行ったが、故郷を思い出し帰ってくるというストーリーである。
又、翌年の平成23年月に苅田漁港の入口に『港の美夜古衆』と『帰郷』の歌碑の建立も提案、 実現させて頂きました。
鳥羽一郎さんにとっては歌手では1番多い歌碑15基目と16基目を同時に建立されました。参考に記載しますが、歌碑の建立は、美空ひばりさん12基・石原裕次郎さんは10基です。

歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉

先月号に誤字がございました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
正:しまなみ街道
正:伊勢えびの養殖
正:故 星野哲郎先生

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