大型ウィング納車

大型ウィング納車

ついに、新型ギガの大型ウィング車が納車されました。北海道で体験試乗会に参加し、実際に自分で運転して良さを経験していたので、非常に嬉しいです。この車両は、今後長距離便で活躍してもらいます。

まだまだ、古い車両が多く、増車と代替えのバランスが難しいですが、最近のトラックは、昔と違い、様々な電子部品が増え、修理が難しくなってきていますし、部品交換となってもASSY交換となり、修理代が非常に高くなってきています。ディーラー事態も人手不足からか、修理対応が昔に比べて悪くなってきているように感じるので、早め早めの代替えを心掛けて、対応していかなければならないと感じております。

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TGC (東京ガールズコレクション) 北九州2016 ノベルティセットアップ

%e5%9b%b3110月9日に北九州の西日本総合展示場にて、TGC北九州2016が開催され、この会場で配布用のノベルティセットの作成を、新規受注することができました。弊社倉庫にてセットの作成、搬入機材の手配、製品の搬入、機材の撤収まで、倉庫部門と運送部門の力を合わせて、一貫して受注し、無事に終了することができました。今回受注したような、大口イベント用の流通加工もできますので、お気軽にお問い合わせください。

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緊急の安全会議の実施

10月に入り、通勤中のもらい事故や、労働災害、交通事故を立て続けに発生させてしまったので、緊急の安全会議を開催いたしました。発生した事故事例の報告と、事故の傾向、今後の対策等を話し合い、ベテラン乗務員が起こしやすい事故の傾向も伝え、今まで以上に、安全を意識して業務に従事することを指導しました。
会長からは、「管理者の気が緩むと、それは社員に伝わり、社員の気も緩み事故に繋がる。」「気が緩んでいたのではないか?」と問題提起され、思い当たる節もあったことから、しっかりと自分自身の気を引き締め直し、今後、2度と事故を発生させないように一人一人と向き合いながら、事故撲滅の為の活動をしていきます。

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岩尾浩次君 結婚!

福岡営業所に勤務している、岩尾浩次君の
結婚式が、10月16日に執り行われ、出席してきました。
福岡営業所で勤務している乗務員の平均年齢は32歳と、とても若く、皆イキイキと働いてくれています。
こういった社員の結婚式に出席すると、責任の重さを再度痛感すると共に、今のままではいけない。まだまだ社内を改善しなければと、多くの気付きを得ることができます。
今後、連絡を受けている
福岡営業所の社員の結婚式が数回あるので、楽しみにしていたいと思います。

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社会科物流授業を見学

先日、下広川小学校で、小学校5年生向けの社会科物流授業を福岡県トラック協会の青年部南青会が開催していたので見学してきました。
北青会も、10月23日に白野江小学校で開催予定です。

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歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉑」  著:野見山 登

経営雑感
坪内壽夫翁の経営発想法

坪内壽夫翁の人生は、決して順風満帆ではない。成長の過程において、常に、その前には障壁があった。翁は、その都度、自分自身でよく考え、それを実行にうつし耐え抜き、拓いてこられた。世の中には、自分の置かれた環境を悲観し、努力もしないで挫折してしまう人間が多いが、しかし、翁の話を聞けば、恵まれないほど、伸びる幅が大きいことが良くわかり、翁が実践された偉業のスケールの違いは、自分自身や自分の企業に置き変え考査すれば、ヒントが沢山あるように思います。

坪内翁と大自然にそびえる本物の金閣寺

ホテル奥道後の横の清流(石手川)を少し上ると黄金の金閣寺がそびえていた。京都の消失前の金閣寺と寸分と違わない楠の天井一枚板の金閣寺である。
この金閣寺は坪内翁が、大恩ある今東光先生の実弟当時の文化庁長官であった今日出海氏に本物の金閣寺がなくなり、焼失前の本物の金閣寺を大自然の豊かなホテル奥道後の奥地で“伝説のある清流、湧ケ淵”の畔に建立して頂きたいと懇願され、文化庁より設計図をお借りし金六十貫目13cm角の金箔95000枚を用いて、昭和35年9月に着工し、昭和41年10月に復元されました。荘厳華麗さはゆうにおよばず、足利の昔が今に現前している。大岩の這渓谷伝説のある清流、湧ヶ淵といい四国金閣寺の名に恥じない建物であった。私は、25年前に坪内翁とこの金閣寺の最上階(3階)の金箔の中で会食をして頂いたことがある。タバコも吸えずトイレもなく大変であったが、足利の殿様になった気分になった。この時の坪内翁のお話は、柴田錬三郎先生の紹介で今東光先生と出会い、今先生との懐かしい思い出のお話を拝聴させて頂きました。
『経営も戦争と一緒だ!ナポレオンは戦いの名手であったが、退却という二文字を知らなかった。だから、ロシアの冬将軍にやられて敗北した。人間は退くことを知らなければならない。戦争も経営も一緒だ。2割退却すれば倒産は免れる』と、今東光先生が教えてくれたアドバイスであると、懐かしそうにお話をされた。奥道後を訪ねた今東先生は、酔っ払って芸妓に大きな灰皿と墨汁・大筆を持ってこさせ“大書”を書かれた。現在もホテル奥道後離れの坪中川亭の2階に屏風として保存されている。
また、奥道後観光バスの横に書かれている『奥道後』の大きな文字も今東光先生が書かれた文字です。
今東光先生の13回忌法要に坪内翁は、この芸妓を伴い法要に参列しました。人目を避けて手を合わす芸妓の姿には、翁の心を動かすものがあったそうです。
その後、平成10年4月5日ハガキ道の坂田道信先生と、私の中学校時代の同窓生を誘い森信三著書“修身教授録”の読書会をこの金閣寺の黄金の中で開催し大好評であった。残念ながら、この金閣寺は平成13年6月、愛媛県を襲った集中豪雨で裏山の土砂と共に石手川に流失してしまいました。(坪内翁没1年後であった)流出した翌日、私は松山市に飛び、整理の陣頭指揮をとったが、石手川の下流で松山市の心ない市民に流失した金箔の壁面・楠の一枚板は勿論、檜の大木にいたるまで夜中にクレーン車が来て拾い集められたらしく行方不明であった。しかし、一部市民の方が金閣寺の屋根の上にあった3m位の大きな鯱を回収され、わざわざトラックで届けて下さった方もおられた。この方には丁重にご挨拶をし、ホテル奥道後の食事券と温泉入浴券1年分を差し上げた。又、石手川の河口の漁民からは、金閣寺以外の流木も含め、すべて回収するようにと苦情が殺到し大変であったが、1軒1軒お邪魔させて頂きお詫びすると共に松山市役所に出向き市に協力要請をし、お陰で松山市が回収し解決した。私は“我今、坪内翁なら何を為すべきか!”社長以下幹部社員に身を持って教えた。
歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉
次号もお楽しみに!

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森信三先生のことば

「天の与え、天の恵み」

美とか詩情というものは、わたくしには貧しき者、恵まれない人、とりわけ人生の辛酸逆境にあえぐ人びとに対する、天の与える一種の恵みではないかとさえ思われます。
これ古来真に詩人たり芸術家といわれる人びとが、富みかつ驕れる人から輩出したためしのほとんど絶無に近いゆえんでしょう。
たとえば、山頭火ですが、結局彼の「生」が念々死に直面し、死と対決しつつあった処から来たものといってよく、この点彼の「碁中日記」が何よりもこれを証明しています。
(「不尽片言」)

社長の心根

いつもご覧いただき、ありがとうございます。記事で紹介していますが、弊社の社員の結婚式に出席し、そこで、生まれて初めて祝辞を述べさせていただきました。

とても緊張してしまい、頭が真っ白になってしまったので、カンペを読んでなんとか述べることができましたが、人前で喋るには、まだまだ場数が足りないなぁと反省です。

これから、何度もこういった機会があるでしょうから、少しずつでも成長していけるように努力していき、人前で喋ることがとても上手い会長のようになりたいと思いました。

感謝  取締役社長 平川隼大

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