20F3軸シャーシ 納車されました

20F3軸シャーシ 納車されました

このシャーシは、海上コンテナを載せて輸送するためのものです。
弊社が保有しているこのようなシャーシは約20本ほどありますが、非常に老朽化しており、古いものは昭和40年代の台車を修理しながら使用しています。
しかしながら、さすがに老朽化が激しく、少しずつではありますが、今後代替えしていく予定です。
このシャーシも、宮田運送さんに古い使用していないシャーシが無いか問い合わせた所、メーカーを紹介してもらい、格安でしかも早い納期で納車していただきま
した。もし、平成10年以降の処分するシャーシをお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非、ご相談ください。

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トラック乗務員募集中

現在、本社営業所で募集している乗務員は、大型ダンプ、中型ウィング、中型平ボディの乗務員を募集しています。

福岡営業所では、従業員の紹介で入社待ちをしている人財がいますが、北九州地区では、人財が不足しています。

それに伴い、求人媒体を利用して募集する為に、若手社員をモデルにして写真撮影をしていただきました!爽やかな記事ができあがったので、きっと良い人財が来てくれると思います。これから、どんどん人財不足が顕著になってくると予想されるので、大安に入社して良かったと思われるように、魅力ある会社作りを全社員一丸となって取り組んで参ります。
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新卒社員が戦力として絶賛活躍中

現在、本社事務所は、光永主任が3月末まで長期療養中で仕事を休んでいるので、事務処理能力が低下しておりますが、新卒で採用した田代くん(遠賀高校卒)と松岡さん(星琳高校卒)が、戦力として業務を遂行してくれているので、とても助かっています。

田代くんは、朝出勤してきて、日報入力や受領書を処理したのち、倉庫へ赴き出荷準備をして、午後から事務所に戻って、残りの事務作業を手伝ってもらっており、現場も事務所もオールマイティーに頑張ってもらっています。松岡さんは、光永主任の業務を一身に担い、事務処理業務に特化して力を発揮してもらっています。

まだまだ、不慣れなところもありますが、初めて採用した新卒の社員が1年も経たずに一生懸命に頑張って働いてくれて会社の戦力になってくれているので、今後の二人の成長と活躍が楽しみです。

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福岡営業所集配班社員親睦会

福岡営業所集配班所属の社員が少しずつ増えており、今、社内で一番伸びている部門です。この部門の平均年齢は30歳で最年少は、先月号で成人式での写真を紹介した「うえのくん 20歳」です。

同じお客様の荷物を十数台で受注し福岡市内全域にむけて配送しており、10名を超える社員達がチームを組んで業務を遂行しておりますが、現場の社員達が、管理者から指示されることなく、自分達で、労務・安全・品質の担当を選任し、部門内の各班長と連携を取りながら、日々の業務に取り組んでいます。

このようなボトムアップされてくる業務改善は、これまでの大安ではあまりみられない動きなので、心強いと感じるとともに、今後が楽しみです。

これからも、大安の将来を担う若い人々が、やりがいをもって働き、皆で幸せになれるように、頑張っていきたいと思います。また、来月、再来月と所属社員の結婚式が控えているので、楽しみです。

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福岡で営業所及び倉庫物件 探してます

現在、業務拡大に伴い、左図の地域で、

・倉庫300坪以上

・車庫スペース130坪以上

・市街化調整区域でない

・全面道路6m50cm以上

の物件を探しています。

もし、お心当たりがございましたら、
ご一報ください。
図1

歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉕」 著:野見山 登

尾道市~今治市を結ぶ民営架橋計画

本州と四国を結ぶ大橋の構想は、大平正芳氏や三木武夫氏ら大物政治家を出していた香川県と徳島県が一歩リードし愛媛県は遅れを取っていた。
もし、尾道市~今治市ルートが民営で出来ると、香川県・徳島県も国の予算が使えなくなり民営でやらざるを得なくなる。
昭和40年、坪内翁は先手を打つ方法として株式会社を設立し民営による架橋計画をした。
坪内翁の構想は、建設のための資金を現物出資で集めることであった。鉄綱メーカーは鋼材、セメント会社はセメント。さらに漁業権、土地に至るまで、その資金はすべて株券によって支払うものであった。ルートに架かる十箇所の橋は建設会社が同時に着工し、短期で建設させる予定であった。
坪内翁は、架橋会社の社長を広島県出身の永野重雄氏(当時/元新日鐵会長)に、副社長を佐伯氏(当時/近畿日本鉄道会長)に引き受けてもらい事業に信用をつけることにした。架橋会社の株を担保に融資をうけられるように、伊予銀行と広島銀行を中心に説得した。両銀行は、その資金集めを目的に『架橋預金』を設け、それぞれ百億円以上を集めたそうです。架橋ムードを盛り上げるため、私費を投じフランク永井が歌う『でっかい夢』をつくったが、歌詞に将来、ルートをトンネルで大分まで伸ばそうという夢も盛り込まれていた。又、今治市においては、本町商店街のアーケードを大橋のイメージにあわせたデザインで建築し市民を巻き込んで盛り上げていました。

架橋会社社長の予定であった永野重雄氏は、坪内翁の架橋民営化構想に賛同し、役員会の了承を得るため、坪内翁を役員会に招集し説明をさせました。

役員の田坂氏が『製鉄所の鉄の需要が低迷し、鉄の売れないときに着工してくれ』と、要望すると、永野氏が机の下で坪内の足を蹴り、『ウンと言っておけ』と、小声で指示したとのこと。翁は『わかりました』と返事をして役員会の了承を得たと、永野氏との思い出を楽しそうに話して頂いた。

ところが、坪内の行動を心よく思わなかった当時の愛媛県白石知事や一部の政治家、財界人が、民営などでつくられては政治家として、財界人としてメンツが立たないという理由で潰しにかかったのである。

愛媛県がひとつになってこそ進む計画でしたが、盛り上がったムードは壊れ株式会社設立を前にして計画を中止せざるを得なくなり頓挫したのです。

本州から四国への架橋は、神戸~徳島ルート・岡山~香川ルート・尾道~今治ルートの三ルートありますが、共にすべて大赤字を抱え現在は民営化されている。

※資料出所:坪内翁80年の足跡より

私は、坪内翁にこの感動的なお話をお聞きして、翁の構想の真似はできないが、九州と中国・四国を『人と人を心でつなぐ、夢の架け橋』を実現した。

ヒューマンネットワーク養心の会である。北九州をスタートに、養心の会北九州・別府・山口・愛媛・播磨・小豆島・鳥取・福山・富士・石川・広島・11箇所で発足。

各地で毎月1回、著名人を講演会の講師としてお招きし、3千円~5千円で、講演会終了後は茶話会を開催した。

さらに、年に1回全国大会を1泊2日で志師塾として開催。

しかし、各地の養心の会は23年から25年を経過し、各地の主宰者が歳を取ったり、亡くなられた方もおり、お世話が出来ず残念ながら、現在は4箇所しか存続していない。

解散された養心の会の方々は、新たに『掃除に学ぶ会・ハガキ人の集い・便教会・木鶏クラブ・天風会・ネットワーク地球村』等の名称の諸団体に所属し研鑚を積んでいる。

◆次号は、坪内翁に関係する芸能界やスポーツ界の方々との逸話、その他を取り上げます。

歴史と人物に学ぶほど生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉

森信三先生のことば

「即今着手」

われわれ人間は、日々自分の当面する事務的な事柄や世俗的な雑事の重圧を、いかにして切り抜けたらよいか¦¦という問題は、わたくしたちの日常生活の上にたいへん大事な事柄です。ではどうすればよいかというに、それは原則的には、「すぐにその場で」片づけるということでしょう。そしてそれこそが、この難問にたいする唯一にして、かつ最上の秘訣と申してよいでしょう。
(「不尽片言」)

社長の心根

いつもご覧いただきありがとうございます。先日、平川会長が70歳の誕生日を迎え、自宅に家族が集まり、お誕生日会を開催致しました。

昨年の夏から、禁酒していた会長も、誕生日までと決めていたらしく、今回の誕生日から飲酒を解禁されました。

久しぶりの飲酒解禁で、飲み過ぎたようでしたが、孫とも楽しい時間を過ごせて良い誕生日になったことと思います。

70歳になり今後の抱負を聞いたところ「健康第一」とのことでしたので、これからも元気に過ごして頂き、孫の成人式の時に、ビシッとした

お言葉を述べていただきたいと思います。

感謝

取締役社長 平川隼大

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