小さいトラック祝納車
3t積載ゲート付きバン車と2t平ボディ車を納車しました。
3tGBは引越し業務を主として稼働します。
2t平は、グループ会社の建築板ガラスの輸送を主として稼働します。また、2t平はオートマ車で未経験者でも安心です。
2t平のボディ内寸は、長さ4355で幅が1790です。
基本はグループ会社の業務を月・水・金曜日で稼働しています。残りの火・木・土曜日はフリー便として、稼働しています。近距離輸送であればお気軽にお問い合わせください。現在の乗務員は、配車係の大久保慎吾が乗務していて、近々若い乗務員を指導しながら稼働します。当初、新卒を乗務させる予定でしたが、入社2カ月で「大工になりたい」と言って辞めてしまったので、人員の配置に四苦八苦しています。しかしながら、せっかく導入した車両なので、グループ会社と相乗効果を図りながら乗務員不足を補うために若い人財用に小さいトラックを増やしていきます。
本社歓迎会を開催
先日、4月以降に本社営業所に入社した方々を歓迎すべく、歓迎会を開催いたしました。会長をはじめ、倉庫勤務の方々など、多くの方々に出席していただき、とても盛り上がりました。普段、仕事上でしか付き合いのない人々も、こうして、お酒を飲みながら飲みにケーションをすると、普段とは違った一面を垣間見ることができるので、親近感が沸いたのではと思います。もうすぐ、昨年入社した新卒新入社員が二十歳になり、お酒が飲めるようになるので、お酒に飲まれないよう嗜む飲み方や、お酒の席での気遣い等、社会人として大人としての教育もして、立派な社会人に育てていきたいと思います。
福岡営業所緊急安全会議
先日、弊社の中で一番業績が向上している、福岡営業所所属の社員が集まり、発生した事故に対する検証と対策を皆で考え、シェアすべく、緊急の安全会議を業務終了後集まり、開催いたしました。発生した事故自体は、車両と敷地内設備の接触なので、けが人等が発生していない軽微な事故でしたが、発生した背景や原因は場所が違えばもっと大きな事故になりかねない内容だということを、皆でシェアし合い、同じような事故を発生させないような対策がしっかりと皆の中で腑に落ちています。参加できなかった中山係長は、合宿にてフォークリフト免許と大型免許と新たな人財を勧誘し取得して帰ってきてくれました。
結婚祝いを渡しました!
福岡営業所所属の須々田くんと丸山くんに会社から福利厚生の一環で、結婚祝いをおくらせていただきました。二人とも、大手運送会社から弊社へ移籍してくれていて、即戦力として、バリバリ福岡市内の集配を稼働してくれています。これからもこういった人財が集まってくれるような環境を作っていきたいと思います。
歴史と人物に学ぶ NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉙」 著:野見山 登
青木プロについての裏話
平成12年12月28日、坪内翁は85歳の生涯を閉じたが、翁の通夜の枕元で『親父!なんでもう一度、俺の優勝を見てくれなかったんだょ~』と、涙いっぱいの青木プロの姿があった。私の横に座っていた新来島ドックのオーナー石水氏(坪内奥様の妹の夫)は、青木プロに『青木そんなに泣いたって死んだものは生き返らせんぞ!』と、失礼な物言いで諫めていた。私は、やっぱり翁を裏切った張本人らしい言い方しかできない人間オンチなオッサンや・・・と思い、青木プロに『青木さん、ものの言い方も知らぬオッサンを相手にせず外に出ましょう』と、玄関前のテントの中で焚き火を囲み翁との思い出話をしました。ほどなく鳥羽一郎さんも来られましたが、同様にご焼香が終わりテントの中に入って来られ、NHKの紅白歌合戦のリハーサルの件をお尋ねすると『マネージャーに都合よくやっておいてくれるよう頼み、こっそり抜け出してきた』とのことであった。私は、それぞれの業界の一流のプロは、本当に義理人情や絆を心得ているのだと、あらためて勉強させられました。翌日の密葬の日にも翁の棺に手を添える青木プロの目には大粒の涙でいっぱい、声を上げて泣いていた。その時の青木プロは、あの獲物を見つめる黒豹のような精悍な面影はまったくなく、ただ信頼できる親父を失った男の悲しみ溢れる姿であった。又、この時もマスコミが大勢押しかけて大変であったが、某テレビ局は祭壇の前まで来て脚立に登り棺の中に眠る坪内翁の死に顔と青木プロが涙している姿にスポットライトを照らし撮影していた。あまりの態度に私はおもわず大声で『お前ら、ええ加減にせんかい、青木プロは勿論、ご親族や参列者のことも考えんかい!何処のテレビ局や、この映像を放映したらタダでは済まさんぞ~!』と怒鳴った。参列者は何処のヤクザかと思ったのか一瞬シーンと静まり返り、参列者の中から一呼吸置いて『南海放送じゃが』と言っていた。私は、我慢できず葬儀が終了してから青木プロを空港に見送りがてら松山市内の南海放送局まで行き厳しく抗議をした。対応した南海放送報道局の社員は『大変失礼をお詫び申します。私共の下請けのカメラ会社の社員が撮影したらしく、厳重に注意します』との言い訳であったが、とりあえず一件落着しました。“厚かましさと熱心さは紙一重”行き過ぎた報道カメラマンのプロ意識にもビックリすると同時にいい体験をしました。その後、翁の13回忌法要まで、青木プロは、毎年12月28日の命日前後に坪内翁の墓前にお参りに来られていた。私も何度か同伴させて頂きましたが、青木プロは墓前に正座をしてお参りをされていました。奥道後の矢野専務の話によると『多くの方がお参りに来られますが、墓前に正座をしてお参りされる方は、青木プロと野見山先生のお二人です』とのこと。私は、大恩ある方の墓前で当たり前のことをしているだけですが・・・。
青木プロから頂いた我が家の宝物
平成19年11月、私は、熊本で開催された第17回シニアーオープンの最終日応援に行ったが見事優勝され、青木プロが、明日松山の坪内翁の墓前に報告に行くと言うので、“常に我、今何を為すべきか自問自答せよ”(私共の研修会で常々指導している言葉)にプラスし『我、今坪内翁ならば何を為すべきか』と、前にも述べている奥道後の矢野専務に電話を入れ、ホテル奥道後で、青木功プロの優勝祝賀会をするように指示、交流のあった財政界の方々を始め、奥道後ゴルフ場のお客様への電話での御案内を含め、会費2万円200~300人緊急招聘して頂きたいと連絡をした。(祝賀会での売上550万円であった)翌日、私は松山空港に到着後、坪内翁の墓前に報告し、ホテル奥道後に行くと玄関前に“プロゴルファー青木功優勝記念祝賀会”の横断幕も張られ準備万端、歓迎ムードでお迎えの準備も出来ていた。夕刻、青木プロが到着され祝賀会では、当時の加戸愛媛県知事、中村松山市長(現/愛媛県知事)をはじめ数々の著名人の方々のお祝いの言葉の後、青木プロのあいさつそして突然私を舞台に招き『坪内翁没後も自分以上に野見山先生は翁のことを想っておられる方です。今日のこの祝賀会も急遽開催して頂き感謝の気持ちでいっぱいです。皆様の前で恐縮ですが、自分からの御礼の品をプレゼントさせて頂きます』と、青木功のネーム入りのパターを頂戴しました。現在、私の事務所に宝物として飾っています。(一度も使用していませんが…)青木プロは30数年前に始めて瀬戸内海を渡り坪内翁とゴルフの話ではなく、経営者としての考え方、生き方を交え、我慢・根性・無欲・集中力などについて話を聴き、迷いを断ち切り、そのままハワイに直行しハワイアンオープンで優勝された。武士道と人間愛、プロゴルファー青木功氏と亡き坪内翁の絆は、強い糸でつながっている。
社長の心根
先日、父方の祖父の没後50年祭に出席するべく、平川家のルーツのある人吉市まで行ってきました。当初、遠いことと日帰りということもあり、息子二人を連れて行くと、いろいろと妻も大変だから私一人で行こうかとも考えましたが、祖父が積んでくれえた『徳』を、祖父から父へ父から私へ私から息子たちへ受け継がれていく為にも、やはり息子たちにも出席して欲しいと思い妻にお願いしたところ、快く応じてくれたので、家族で出席してきました。帰りにはちょうど、人吉駅にSLが来ていたので妻も息子も喜んでくれて良かったです。今回の人吉行きでは、いつも以上に、ご先祖の方々への感謝の思いを強く感じました。
感謝 取締役社長 平川隼大