歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㉚」 著:野見山 登

作詞家・星野哲郎先生と
坪内翁の友情

数々のヒット曲を生み出した作詞家星野哲郎氏は、昭和43年北島三郎が歌う『伊予の女』をつくり松山市で新作発表会を開くことになりました。ところが、その直前に愛媛県民会館で開催された他の歌謡ショーで『ドラム事件』呼ばれる暴力団抗争事件による作人事権が起こり、この影響で県や市などの公共施設は、歌謡ショーなど興行に対して使用禁止となり、星野氏や関係者は困り果てていました。この話を聴いた坪内翁は、星野氏が坪内翁と同じ弓削商船学校の出身の後輩でもあり、商船学校卒業後は船乗りだったという自分と同じ境遇に他人ごととは思えず、又、ホテル奥道後の1500人収容の大ホールが完成したばかりで、坪内翁は窮地に陥っていた星野氏へ無償で提供し助けられたのです。これが縁となり星野哲郎氏と坪内翁は交流が始まったとのこと。
坪内翁の生き方に興味を持った星野氏は、坪内翁をモデルにした北島三郎が歌う『男の劇場』、鳥羽一郎が歌う『翁』『来島海峡』など数々の歌を作詞されました。
星野氏は『坪内翁の人間的魅力にはまった。

大将は戦場では後方で指揮し戦わないが、四国の大将は真っ先に火の粉を浴びる』と『男の劇場』を作詞した理由を語っています

星野哲郎先生の作詞
『男の劇場の添文』

砂漠のように乾ききった日本人の心に、水を引き、緑の木陰を育て、花を植えた。四国の大将坪内翁は、右からも左からも言葉を尽くして、感謝されている。これは、その根源が働く心を大切にし、彼らの家族を思いやる翁の大慈悲に発するからである。もうこのような国士は、今のままの日本では現れないだろう。

星野哲郎先生の作詞
『男の劇場』の歌詞

一、正しい者が 勝たいでなるか それがこの世の 心理じゃないか 忍の一字に 望みをかけて じっと待つ 来島瀬戸の 渦も知っている男のロマン

二、できないがまん するのががまん 恨みつらみの百万言は 腹に収めて にっこり笑う がまん男の がまんの前に 壁は崩れる
氷もとける

三、自分の身なりに かまっちゃおれぬ 後はたのむぞ 可愛い女房
俺は大将 まっ先かけて 浴びる火の粉に 身はただれても いかにゃなるまい 勝たねばならぬ

私が実践していた中小企業の
実例の一部を紹介
1.輸入家具専門店で経営者はベンツ・BMWを、営業マンにVWのGOLFを提案。
国産車より多少割高だが、扱う商品と共にプライドを持たせ、やる気を起こさせた。
社員募集も海外旅行経験者優遇と記載したら優秀な人の応募が多数あり入社した。

2.家具業界では全国初の外商部隊に、固定給にプラス報奨金制度の導入を実施。
間接部門から多少苦情もあったが、企業は売上第一主義利益第一主義である。

3.お金を稼ぐ店舗は豪華“夢と感動のトータル劇場LIFE THEATERの会”を主宰。
事務所はボロでも店内は、
各お部屋のイメージに合わせた
豪華なルーム展開を実施。

4.休眠施設の有効活用。
家具の倉庫を倉庫販売専門店とし、
土・日・祝日のみ営業。
倉庫販売だから価格を少し安くし、商品は持ち帰り頂く。
トラックの無料貸出。
所有している別荘・リゾートマンションをお客様にも利用できるよう解放して頂いた。

5.創造業の場合、工場最優先と考え生産効率のいい機械設備と人員配置を重視した。機械設備のレイアウトを効率よく配置換えをし、日勤制度を2交代制とし工場と機械を効率よく昼夜フル稼働させた。(8社で導入実施)

6.金銭出納簿・売掛買掛帳も大切だが、顧客名簿はもっと大切に扱う。顧客なくして発展なし、顧客を一人ひとりの個客に育成。個客の組織化固定化戦略のシステムを構築、無駄な広告宣伝費を使わず年間の売上予測が立つ方法を確立。

7.ルート営業の場合、営業に小型トラックを使用して頂き、配送と得意先訪問を兼ねた。営業活動と配送を平行し、経費削減と同時に生産性は大幅アップとなった。

8.ゴルフ場のクラブハウスは古いほど価値があると、建替予定を中止、延期して頂いた。クラブハウスにお客様が滞留する時間は、受付・精算と昼食・入浴時間のみである。クラブハウスを豪華にするよりコースメンテとキャディーさんのサービス精神に投資。

◆モノ見方・考え方・感じ方・思い方・捉え方・を少し変えて頂く経営姿が大変重要であると思う。坪内翁が常々言われていた、率先垂範・現状打破・意識改革と共通する事例。

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