夢トラ~遥かなる挑戦~ 祝100号

夢トラ~遥かなる挑戦~ 祝100号

新年おめでとうございます。無事に新しい年を迎える事ができました事、心より感謝申し上げます。
この夢トラ新聞が100号目を迎えるとの事、社長より一筆書いて欲しいとの要望があり、久しぶりにペンをとった次第。この夢トラ新聞も現社長の発案で初めて100号、都合8年と少々という事になります。『継続は力なり』と申します。今後とも続けていかれますよう、頑張って頂きたい。
弊社は、昨年の12月28日より会社設立50年目に入りました。私が社長に就任したのが、昭和51年11月の、29歳の時でした。トラック4トン平ボディからブロック運搬、セメント袋の輸送等を始め、その間、大型免許をとり、大型ダンプカーを購入して三菱セメント苅田工場の原料輸送を始めました。そうした折、現山協工務店の山本会長より、
「休眠会社の大安運送をやらないか?」との打診がありダンプ車両の現物出資という形で社長に就任したのが始まりです。
社長になって42年の間、今日まで無我夢中で仕事に取り組んで参りました。その間にいろんな事がありました。まとめたら一冊の本ができあがるかもしれない位ですが、思い出されるのは苦しかった時のことばかりです。社長の仕事は、絶対に会社を潰してはならない。働いている社員を豊かに幸せにするのが社長の仕事であるという信念のもと素晴らしい会社にしようと、今日までやってまいりました。
月日の経つのは本当に早いもので、私も2月で満71歳になります。業界の役職もほとんど身を引き、身軽になりました。

精神的に非常に楽になりましたが、まだまだという思いはあります。何かの雑誌に載っておりました。『50~60は鼻タレ小僧、70~80が働きざかり、90で迎えが来たら早いと追い返せ』と! 若い社長を裏からサポートし大安に係る全ての人を幸せにするという思いが一日も早く実現するよう、社長をしっかりと応援していきたいと思っております。
社員の皆さんも今年一年、無事故・無災害に取り組んで頂き、自分の幸せ実現のためにしっかり頑張って頂きたいと思っております。
“今年が皆さんにとって最良の年とならんことを祈念して”

代表取締役会長 平川謙二

新卒社員が成人式を迎えました

大安で初めて採用した、新卒社員の田代翔太くんと、松岡柚季さんが、今年成人式を迎えましたので、社員を代表して伊藤所長より、ささやかなお祝いが手渡されました。今では、田代君と松岡さん両名とも運行管理者資格も取得し、二人とも大安に無くてはならない存在として成長してくれております。社員は会社の宝。
これからも、更なる高みを目指して頑張って下さい!

松岡さんの振袖姿を親になった気持ちで観て皆で感動しております(笑)

  

永年勤続者表彰しました

今年も永年勤続表彰を実施致しました。7年2万円。10年5万円、15年10万円。20年20万円の功労金を支給させていただいております。
これからも、多くの永年勤続者が出てくれることを願っております。

      

   

筥崎宮へ安全祈願に行ってきました

1月4日に、福岡営業所所属の社員達と、筥崎宮へ安全祈願に行ってきました!
多くの人々で賑わっており、厳かな雰囲気の中、今年の安全と商売繁盛を祈願しましたので、今年も安全第一で頑張っていきましょう!

  

歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㊱」  著:野見山 登

義理と人情の絆 南松山病院の尾崎院長と坪内翁の絆≪続編≫

坪内翁のお別れ会は、年明けに(平成12年2月)ホテル奥道後の錦晴の間(1500人収容のホール)でおこなわれましたが、白の菊の花4万本を使い海の波をイメージのデザインとの違いで議論を交わしながら陣頭指揮をとりましたが、当時の奥道後観光グループ矢野専務と広告代理店のスタッフ共々、坪内翁の生涯の映像“果てしなき夢”の制作も翁の古い写真をベースに同時進行で制作した。
2日間徹夜の状態で映像ができあがり、今でも当時のスタッフの皆さんに感謝しています。又、この本葬式での弔辞を読まれた南松山病院の尾崎院長先生は、『坪内翁に8億円を借り入れした事や、病院経営についてのアドバイスの事などの御礼と、同時に坪内奥様は、我々南松山病院の職員一同でお守りいたしますのでご安心して下さい』と、涙声で弔辞を読まれました。そして、坪内翁の80歳の誕生祝に坪内翁をモデルに日本クラウンが制作した歌『翁』を鳥羽一郎さんが歌い『果てしない夢』の映像と、6千名の参列者の涙のお別れ会をおこなった。1千5百名収容の大ホールに祭壇を設けたが、大ホールから4百メートルあるホテル玄関まで長蛇の参列者であった。事前に多くの参列者を予測しホテル玄関やロビー、喫茶コーナーをはじめ大ホールでのお別れ会の映像を各所に流し対応した。
余談な話しですが、この時の社葬費用は約5千万円かかった。ホテル奥道後1千万円、奥道後ゴルフクラブ5百万円、奥道後観光バス5百万円、温泉の利権会社奥道後温泉開発1千万円、佐世保重工1千万円、坪内奥様にも5百万円御負担して頂き、残り5百万円は葬儀社に月賦で支払うようにした。(2年後に完済)
新来島ドックからも申し出があったが、過去に諸事情があり矢野専務を通じ丁重にお断りをして頂いた。(勿論、一般の方々にも香典やお生花は、一切お断りをさせて頂いた)その後、南松山病院の尾崎院長先生は、坪内奥様をお約束通り南松山病院の屋上の住まいで面倒を見られ、坪内奥様は翁の仏壇と共に余生を過ごされました。平成22年、南松山病院は、同敷地内に新しく7階建てを新築され新築披露に、私はご招待されお邪魔しましたが、7階の松山城が直に見える明るく広い部屋を特別に坪内奥様の為に造られていた。居間は20畳・仏間の座敷10畳・坪内奥様の寝室10畳・台所10畳の豪邸で、隣接の部屋を看護婦長室にされ看護総婦長、各病棟の婦長さんに24時間体制で坪内奥様の面倒を観られていました。
平成25年9月、坪内奥様が96歳で永眠された。私は北九州から通夜のお経が終わった頃に松山市の南松山病院に到着し、お参りしましたが、同席していた矢野専務と元・奥道後ゴルフクラブの二宮総支配人にお願いし、お棺を開けて頂き『坪内奥様、長い間お疲れ様でした。翁がおられる天国へ行く三途の川を渡る時のお金です』と、私の香典袋を開け矢野専務に確認させて、お棺の中の奥様の胸の上にそっと置いた。又、尾崎理事長先生は『このお部屋は坪内奥様のお部屋ですから私の眼の黒い間は、亡き坪内翁のお仏壇と共にこのまま職員一同と共にお守りします。南松山病院の原点は坪内翁ご夫妻のお陰ですから・・・』と言って涙しておられました。その後も南松山病院の尾崎理事長先生は、坪内翁ご夫妻亡き後も坪内家のお世話されている。50年も前に総合病院建設の際に、快く融資をして頂き何かと助言して頂いたご恩を忘れることなく“義理と人情の絆”南松山病院尾崎院長と坪内翁の絆は強い糸でつながっているのです。

二宮尊徳先生のことば

「分度を定める」

分を定め、度を立つるは、わが道の本原なり。分定まり度立てば、即ち分外の財生ず。なお井を掘れば即ち湧き水極りなきがごとし。その財僅少なるも、歳々分外に生ずれば、則ち以て国を興し民を安んずべきなり。
(「二宮翁夜話」)

「分度を定め分度を守る」この一理を、尊徳先生はたいへん大事にせられ、復興・改革の中心原理となされました。すべての出費を分内に止めることが出来たら、予測せざる分外の財利を生ずることが出来ると確信をもって言明せられております。

年末の炊き出しを実施

昨年の仕事納めの日に、佐々木所長と豊福さんが中心となって、豚汁の炊き出しを実施しました。鍋奉行の佐々木所長による最終チェックされた。暖かい豚汁に皆さんよろこばれておりました。

      

黒田家に姫が誕生

昨年末の12月29日に、福岡営業所所属の
黒田秀憲さんの家に姫が誕生いたしました。

美沙ちゃんです。

社員の皆さんが宝であれば、子供は至宝ですね。

 

フォトコンテストを開催いたします!

テーマは 「笑顔」 大賞には金一封

募集要項

応 募 者 :社員とその家族

応 募 先 :daian.photocontest@gmail.com

枚数制限:無し

期 限 :平成30年2月15日まで

応募方法は、上記のメールアドレスに、「応募者名」「画像に写っている方の名前」「どういった状況の画像か」を記入して画像をお送り下さい。

★笑顔に関する画像であれば誰でも何でも可

大賞は2月号で発表予定です!

社長の心根

新年明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
この夢トラ新聞も、今号で 100号を迎える事ができました。これもひとえに、今この夢トラを読んで下さっている皆様のお陰です。この場を借りて御礼申し上げます。
当初、夢トラ新聞は、会社と、社員と、その家族の方々との風通しを良くすることを目的として初めました。
今は、お客様や仕入れ先、知り合った人々に、大安のことをもっと知っていただきたくて、継続しています。
これからも、社員の皆さんの力を借りつつ、会社の良い部分をドンドン発信し続けてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

感謝

取締役社長 平川隼大

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