外国人実習生祝配属

外国人実習生祝配属

2月6日より、東九州ヒューマンサポート事業協同組合とベトナムの送出機関VPIに紹介していただいた、ベトナム人実習生2名が配属されました。
1月には一足早く、グループ会社に3名配属されていたので、グループ総計で5名のベトナム人実習生が働いています。
年齢は、弊社に配属された2名は29歳と30歳。グループ会社に配属されたのは、20歳と21歳と27歳で、とても若い人々が入社してくれました。

←歓迎会も開催しました!

入社してくれたことによる、メリットは、若くて前向きで元気が良いので、職場の雰囲気がとても明るくなりました。
また、率先して仕事を覚えようとするので、吸収力もよいです。そして、人が嫌がるような仕事もしますし、残業も、積極的にしたがります。簡単に休みませんので、人員の頭数を計算に入れやすく、体力もあり、とても良い戦力となっています。
ただ、メリットばかりではもちろんなく、デメリットもあります。最大のデメリットは、やはり日本語でのコミュニケーションです。
現場では、身振り手振りや、簡単な日本語で伝える必要があるので、いつも以上に労力がかかっています。しかしながら、業務の標準化の良い機会となっています。また、面接から配属まで、約7か月かかるので、仕事量の調整が難しいところがあります。初期導入コストは勿論かかりますが、求人サイトで募集をかける費用に比べれば、確実に入社するので、計算はしやすいです。後は、業種により1年か3年すると帰国することです。こういったデメリットを考えても、今、どこも人手不足で四苦八苦しているなか、弊社では、人が多くて四苦八苦しております。見学等、お気軽にお問合せ下さい!

左:グエン・ヴァン・ティン 右グエン・ヴァン・ヴィン

倉庫にて防災訓練実施

今年も、花尾防災さんにお願いをして防災訓練を実施しました。ベトナム人実習生も交えて、消火器の注意事項や使用方法の訓練。簡易タンカを使用して、倒れた人を運び出す訓練。実際に119番へ電話を掛ける通報訓練を実施しました。
定期的に、防災訓練を実施することで、従業員の方々の防災意識を高めていきましょう。

北九州マラソン2018に参加

今年の北九州マラソン2018も盛大に開催され、弊社トラックもランナーの方々の手荷物運搬に参加しました。

 
また、本社営業所乗務員の山本良夫さんが、ランナーとして、ミニオンのコスプレで激走し完走しました。

こういった、地域のイベントに今後も積極的に参加して、会社のことを知っていただける機会にしていきたいです。

歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㊲」著:野見山 登

佐世保重工業(SSK)の再建

以前にも少し触れたが佐世保重工業再建の際、紀美江夫人は坪内翁に『浮気はいくらしてもいいから佐世保だけは引き受けないで』と懇願したという。
(坪内奥様生前に直接聞いたお話)1800億円という巨額の負債を抱え、倒産寸前の状況に追い込まれていた佐世保重工の再建は、当時放射能漏れ事故を起こした原子力船“むつ”の問題と絡んで、政治的救済劇ともいわれた。又、佐世保重工再建が坪内翁にまわってきた経緯には『政財界に利用された』という指摘もある。
佐世保重工の危機が表面化する前。昭和50年坪内翁は会長になる条件つきで、白洲次郎氏の依頼で、大洋漁業の資金難を救うため大株主であった大洋漁業の中部謙吉社長より佐世保重工発行株式の25%2250万株を譲り受け大株主となっていた。ところが、坪内翁は役員から“乗っ取り屋”扱いされた。そして、会長就任の話は白紙に戻され、経営権のない相談役に追いやられた。それだけの仕打ちをしておきながら、会社が傾くと経営陣は手のひらを返したように再建の役目を坪内翁に押しつけてきたのであった。しかし、83憶という1600人分の退職金を、個人の裁定で払えるような人物は財界にもいなかっただろう。しかも、会社を再建するには、それ以上の資金の投入が必要になる。
金融機関や取引企業は、一斉に佐世保重工の経営から手を引いてしまった。
1978年6月29日(S53年)51円という額面割れ寸前の佐世保重工業株を大量に所有する坪内翁は社長に就任する。『倒産して社員が路頭に迷ったらいかん』それが決断の最終的な理由であった。しかし、その社員が再建にとって最大の障害となる。
佐世保重工の労働組合は、過去の度重なるストライキの行使で、異常なまでに強大な権力を握っていた。例えば賃金であるが、倒産寸前の佐世保重工の社員の給料は、どこの造船会社よりも高かった。坪内翁は、佐世保重工の賃金を来島ドックと同じベースにしようとした。再建を引き受ける最後の話し合いで労組委員長をはじめ労組幹部にも約束させた。ところが労組の幹部は約束を破ったのである。得意のストを張り、従来の高い給料を守ろうとした。
このストは196日間に及んだ。その間、坪内翁の自宅には、執拗なイヤがらせが続いた。坪内翁はニコニコと笑顔で私に話されていたが『カエルやヘビを放り込むヤツもおった。ワシのワラ人形をつくって火をつける者もいたぞな』と言われていた。紀美江夫人が『佐世保だけは・・・』といった理由もよくわかる。坪内翁は『そんなんでワシが参ると思ったんじゃろ・・・』坪内翁は参らなかった。音を上げたのは労組幹部だった。会社が潰れれば社員は路頭に迷う。坪内翁の再建計画と、労働組合のストと今の会社にはどっちが必要か?
簡単なことがようやく社員に理解され、1982年12月(S57年)佐世保重工は債務を完済。坪内翁は4年数カ月で再建を果たされた。昭和50年坪内翁が51円で引き取った佐世保重工株は、1180円の値をつけていた。再建に着手したとき、坪内翁は個人で2250万株を取得していたのでポケットには、また憶の金が入った。赤字会社の株を底値で買い取り再建に挑む。成功すれば株価は上がる。これが坪内翁のケタはずれのポケットマネーである。だが坪内翁は笑いながら『何ぼ儲けても税金で持っていかれる』と言われていたが・・・。

歴史と人物に学ぶほど生きた学問はない!  安岡正篤先生の言葉

二宮尊徳先生のことば

「四つの厳法」

世界の中、法則とすべき物は、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つなり。この道は誠に、両全完全のものなり。百事この四つを法とすれば誤りなし。予が歌に、
おのが子を恵む心を法とせば学ばずとても道に到らんとよめるはこの心なり。
(『二宮翁夜話』)

生き方の原理として、尊徳先生は、一、天地の道 二、親子の道 三、夫婦の道 四、農業の道を挙げられましたが、これは 一、随順の道 二、敬愛の道 三、親和の道 四、勤労の道とも言えるのではないでしょうか。とりわけわが子を恵む慈愛の心を強調されました。

フォトコンテスト結果発表!

テーマは 「笑顔」 大賞には金一封

福岡営業所 松島係長
家族の笑顔写真が大賞
に選ばれました!
おめでとうございます!

福岡営業所 豊福さんの娘

福岡営業所所属の娘達

この度、フォトコンテストに応募して下さった皆様ありがとうございました。

社長の心根

いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。
最近、会長から言われてドキッとしたことがありました。『トップの気が抜けると会社に何かしらの歪が必ず現れる。気を抜くことなく。常に気を引き締めろよ』と。
会長がこういった事を言ってくるということは、自覚が無くても、どこか気が抜けた事をしていたのかもしれない。
こういった耳の痛いことを言って下さる方が居てくれることは本当にありがたい。でも甘えてばかりいては、仕方がないので、しっかりと気を引き締めるとともに、メリハリを持ち、仕事に取組み、未来の大安の姿を思い描きながら、足元を固めつつ、日進月歩していきます。

感謝

取締役社長 平川隼大

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