ベトナム人実習生が福岡をプチ観光しました

ベトナム人実習生が福岡をプチ観光しました

ベトナム人実習生達に福岡県を満喫していただこうと、光永さんご夫妻と池平さんが中心となって、太宰府天満宮と、糸島の漁港の牡蠣小屋へ連れて行って下さいました。

一番感動していたのは、太宰府天満宮の中のようで写真を撮りまくってました。車の中ではズンとティンが日本語でジョークを言って場を和ませてくれて、とても楽しい旅になりました。

定年を66歳まで延長しました

この度、定年制度の改定を行いました。
今迄は、60歳定年で65歳まで再雇用としておりましたが、これを66歳定年70歳まで再雇用といたしました。
写真の3人も60歳を超えておりますが、バリバリ元気にトラックに乗務してくださっています。
現在、どこの会社も業種も同じでしょうが、慢性的な人手不足が続いています。しかし、定年を迎えても元気な人財はまだまだたくさんいらっしゃいます。こういった方々が元気に継続して安心して働いていけるような、職場環境を整えていきます!

運行管理者試験合格か⁉

今回の運行管理試験では、自己採点での合格者が
1名出ております!
本社営業所所属の、入江くんです。
入江君は昨年4月に新卒で入社したばかりですが、業務が忙しいなか、試験勉強をして見事自己採点での合格点を叩き出しました!
あとは、合格通知が届くのを待つだけです!
これからも、様々な資格をたくさん取得して、
知識やスキルを伸ばしていって下さい!

平川家第3子誕生

この度平川社長に第3子が誕生いたしました。
名前は「稜(りょう)」君です。
これで、平川だんご3兄弟となりました。
将来頼もしい限りですね。元気な子を授かり平川社長も奥様に感謝感謝のようです。
これからさらに、社員達の為にも、この子達のためにもバリバリ仕事も家庭も頑張って下さい!

歴史と人物に学ぶ  NSP経営躍進塾資料より 「会社再建王 坪内壽夫翁 ㊳」 著:野見山 登

SSK労働組合のストの問題

SSKの社長を引き受け、坪内翁は第一次の希望退職者1600人分の退職金83億円(一人平均5百万円強)と松山名物の饅頭ポエムを持って佐世保に乗り込んだが、退職金を受け取った 故/国竹労組委員長らは、饅頭が着くと体裁を装って激怒し、一気にストライキに持ち込んでしまったのだ。(饅頭を積んだトラックは支払った退職金よりも後に到着した)饅頭で我々を買収しようとした不屈な経営者というわけだ。
『我々は饅頭ごときで騙されはしない』なにも知らない一般の組合員は、労組委員長のその言葉に素直に反応し『そうだ、そうだ』の大合唱が起こったが、一部には首をひねる組合員もいた。『饅頭ぐらいで買収できるなんて、本気で考えているのだろうか。本気だとしたら、坪内という男は経営者になる資格などない人間じゃないか。それを政界や財界が寄ってたかってSSKの再建に引っ張り出した。おかしい・・・』それは坪内翁に対する疑念ではなく、組合幹部に対する疑問だった。その後は、その幼稚で素朴な作戦がはっきり解明されている。饅頭を積んだトラック3台が到着したのを見て、それを口実にストを打ったわけだ。
労組の幹部は、退職金はすでに手に入れている。そうなれば坪内翁はもう後に引けないわけで、組合はとことん坪内をSSKの経営に引き入れてしまい、今度は自分たちの要求を呑ませ続けようと言う狙いだった。したがって、坪内翁を再建に引き出すため、東京で坪内翁の再建案に協力するよう従業員を説得すると約束した国竹労組委員長らは、そのときに書いた念書も、大会を開いて決議しなければ有効なものにはならないと、無効を主張する始末だった。賃金15%。3年間の昇給、賞与の停止。週休2日制の廃止。これがSSK再建について坪内翁が示した三条件で、労組委員長の国竹氏らはそれを組合員に説得するという念書を坪内翁に渡していたのだ。この件に関する坪内翁の失敗は、労組指導者を自分と同質の人間として扱ったことにある。
坪内翁はSSKを再建することが目的で社長就任を引き受けた。その条件として、労組の協力をとりつけていたつもりになっていたのだ。しかし、労組の指導者たちは、労使協調などありえないこととし、常に経営者側から労組に有利な条件を引き出して組合員の信望を集め、組合の上に君臨し続けることを願って行動していたのだ。それが当時の労働組合の通年だったのである。坪内翁はそれにもかかわらず彼らを信じて、今頃は組合員の説得に苦労していることだろうから、その説得に自分も加わるつもりで、饅頭を配ろうとしたのだ。坪内翁にしてみれば、ほんの挨拶代わりのつもりであった。
なにしろ、同時に佐世保に持ち込んだのは個人で債務保証をして得た83億円の退職金だったのだ。いくらそれがトラック3台分になったとはいえ、饅頭と比較できるものではなかろう。ところが、83億円は受け取っておいて、饅頭のほうを問題にされてしまったのだ。坪内翁は茫然としてしまったという。
労組の国竹氏らは、SSK再建は坪内翁以外にはないと言われた当時の情勢下で、最後の詰めは自分達が坪内に協力を約束することだと知っていたのだ。
総理大臣から財界の指導者たちが総出で坪内翁の説得に成功し、辻佐世保市長の根回しで労働組合幹部が坪内翁に会う最終段階では、なんとしても坪内翁を引き出すことが先決問題だから、涙を流してまで協力を約束してみせたのだ。そこには倒産しかかった企業の再建する気持ちより、新しい敵と戦う意欲のほうが強かったようだ。坪内翁が示した三条件はどれひとつとってみても、労組がストを打って反対するに十分な条件であったのである。だから問題はその三条件であった、饅頭問題などはどうでもよかったのだ。労組委員長の国竹氏らにしてみれば、きっかけは何でもよかったのである。坪内翁はそこへおあつらえ向きの贈り物をしてしまったのだ。たとえ饅頭を贈らなくても、労組は坪内翁が示した三条件に反発し、ストに入ることは決まっていたようなものである。組合の指導者たちは、実質的にSSKを占領していたといっても過言ではなかった。資材の納入業者たちの生殺与奪を彼らが行っていたのだ。そのため業者は入れかわり立ちかわり、労組幹部を親睦のための接待に誘い、連夜遊興にひたっていた、いわゆる労組貴族がそこに存在していたのだ。やがて坪内翁は、その問題に立ち向かわねばならないことになる。会社側に対して、その資材の納入はどの業者にやらせよ。と言う労組幹部の要求は、常に紛争を回避する会社側に受け入れられ続けており、そのため接待費などが上乗せされて、坪内翁が経営する来島ドックの資材より2~3割高い価格で納入されていたのだ。労組幹部が何かにつけて強硬な態度を示し、常にストライキを武器に会社側と闘争する姿勢を崩さなかったのは、そうした資材納入に関する問題があったからである。この点でも坪内翁は、ひとつの転機に立たされていたと言える。坪内翁はこの時点で強烈な労使対立に巻き込まれ、196日に及ぶ記録的な長期ストを耐えることになる。そしてこの長期ストをもって、日本では大規模ストライキは発生しなくなったのである。

歴史と人物に学ぶほど
生きた学問はない!

安岡正篤先生の言葉

二宮尊徳先生のことば

「礼法 尊ぶべし」

礼法は人界の筋道なり。人界に筋道あるはたとえば、碁盤将棋盤に筋あるが如し。人は人界に立ちたる、筋道によらざれば、人の道は立たず。
(『二宮翁夜話』)

尊徳先生は「己に克って禮に復る」の言葉を重んぜられ、禮儀作法の道をよく説かれました。生き方の筋道というか、基本の原理原則を重視せられ、これをくりかえし、くりかえし説いておられます。たとえば早起き・正直・働きを強調せられました。

社長の心根

会社組織の中には様々な価値観を持っている人が共存しています。もちろん会社組織にも価値観というものがあります。
育ってきた環境が違うので、個人の価値観が違うということは仕方のないことです。そういった違う価値観の人たちが集まって会社組織を通じて目的目標を一緒に達成しようと皆で頑張っています。なので、価値観が違うことで互いを受け入れず非難しあえば、楽しくもなければ成果もあがりません。個人の価値観が同じである必要はありませんが共存しなければなりません。人が増えるとこういった摩擦はどうしても起こってしまうのでしょうが、陰でグチグチ言うのは辞めて、互いの価値観を伝えて違いを知り違いを認めて共存していきましょう!
私自身、皆の価値観を知り、認めながら共存してより良い会社組織にしてまいります!

感謝

取締役社長 平川隼大

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